2011/04/01

キャリアは変えるんじゃなく積み重ねるもの。

 先日父親と2人でメシを食う機会があった。昨年定年を迎えた父だが、大学院卒業後ひとつの会社に勤めあげた建築士だ。まったくちがう生き方をする息子を不安に思うコトも多くあったようだ。

 大学を卒業後、映像(特にCM)を創る仕事に携わりたく就職活動をしたが、就職氷河期にクリエイティブの仕事を未経験でとるところなどなく、考えた結果広告代理店の営業というカタチで今のキャリアをスタートすることになった。営業として映像制作に関わりたかった。

 1年目の冬にAdobe After Effectsとの出会いによりそのキャリアは大きな展開する。今までテープで編集(リニア編集)し、即戦力となる芸大卒しか出来ないと思っていた映像制作がPCで、データを編集(ノンリニア編集)することが可能だと知った。
その後、夢中でAdobe After Effectsを使う毎日が続き年間80本というペースでローカルCMを営業し、編集するというスタイルに変化していった。

そして、その時期映像業界がノンリニア編集へ大きく舵をとる時期だった。

 社会人3年の4月にノンリニア編集を学ぶため映像編集の専門学校に働きながら通うコトを決意し、Premiere、Avidの技術と編集のイロハを2年かけ学んだ。毎週土曜日に高速バスで都内まで来ていた。

 徐々に増え続ける映像制作の仕事と本来の代理店営業の仕事の狭間で会社とのバランスがとれなくなり、退職することになる。この代理店営業の仕事がキャリアのスタートでよかったと今は心から思う。

 「映像が創れる営業マン」を目指していたが、「営業が出来る映像マン」にその最終着地点が変更になった。

 ひょんなことから専門学校のAvidの師匠が系列会社のポスプロが人を欲しがっているとの紹介を受け、面接に行くことになった。今考えれば、よくあんなプレゼンをしたもんだとも思うが、急遽大手ポスプロへの就職が決まり東京へ戻ってくることになった。

 この第二のキャリアでは、映像制作の最先端に触れ、地味な作業をコツコツやることがキレイな画を創るコトを知り、映像を創るのは機械ではなく人だと知ることになった。infernoもAdobe After Effectsも創る人の道具なのだ。

 最先端に触れる日々からやはり「営業が出来る映像マン」になるためにはクライアントと接したい。クライアントがイメージするものを直接聞いて表現したいと思い仲間たちと小さな映像制作会社を立ち上げた。

 毎日、毎日Adobe After Effectsでものづくりをする最高の日々。CM、TV、映画しかなかった映像にインターネットという選択肢が出て来たのがこの頃だった。自社メディアを持とうと提案し、多くのクライアントのサイトに動画という新しい情報発信のオプションを構築させていった。営業マンが映像マンとして認められ始めた時期だった。

 会社の代表が静岡へ帰ると言い出したことをきっかけにいよいよ「独立」という選択肢が生まれてきた。当然不安も多かったし右も左も分からんと言うのが本心だった。がむしゃらに仕事をして人生をかけた選択を何度かして…いつの間にか憧れだった映像を創る仕事をしている。

 父に言われた。

 「回り道してるように見えるが、その度その度にその経験を次に活かし結果最短距離でここまで来たんじゃないか?」と…

 自分でもそう思う。やってきたことの積み重ねで今仕事が出来ているし、やってきたこと以外は実は何も出来ない。

 まだ満足していないし、ゴールじゃない。夢中で出来ることだけをやってきたからやり残してきたことをやってもうひとつ先のキャリアに進みたいと思うようになっている。

 だから4月から大学生になります。通信教育ですが、美大生です。
 
 こんな時期だからこそ勉強がしたい。映像を創ることで満足じゃなくなるほど掻き立てられる何かが自分の中にあるのか確かめてみたい。本気でトップも世界も目指したい。

 すでに仕事にしてるのに何をいまさらと、やれなかったことから目をそらすんじゃなくやれる時にやっておく。

 この「行動」が必ず自分のキャリアの一層になると思うから。


Published with Blogger-droid v1.6.7