先日写真の先生とのメールのやり取りの中ですっと納得できる言葉をもらった。
昨年から通っている通信教育の大学。
当初、いや今も当然仕事に活きるようにと思い自分自身の中にない芸術的裏付けを
学びたくてスタートさせた。
今年は写真コースに移って暑い夏は月に何回かのスクーリングにも通う。
昨年から今にかけて、結構大きな進歩と同時に心境にも大きな変化があって
仕事的には明らかにこの間「人に見せたくなる」ような映像制作が出来るようになってきた。
と同時に今まであまり考えた事がなかった自分自身の「表現」ということを特に今年度になってから考えるようになりました。
写真に関して言えば「記録」ではなく「表現」の写真ってなんなのだろう?と...
スクーリングごとに講義してくれる先生にこの「表現」の写真ってどういうことですか?と訪ねる事を自分の中に決まり事にしている。
テクニックじゃない部分を知りたい。
後日、1通のメールが来ました。
「仕事」におけるものづくりは「1」からはじめること。
題材や素材、要求や制限。いい意味でそこに依頼があってそこからつくりはじめることです。
Fine Artや美術はただアーティストが勝手につくり、勝手に発表していくこと
つまり「0」からつくっていくこと。
そこがアートとビジネスの違いなのでは?
と言った内容。
この「0」からつくっていくという話が妙に納得出来ました。
「仕事に活かしたい」これはやるからには当然。
でも、結果論だし最大の目的ではないかもしれない。
少なくとも自分の心をはげしく突き動かす動機ではないのかもしれない。
「0」からつくりたい
美大で学ぼうと思った根っこの動機はこれだったのかもしれない。
これから卒業までの数年間。
仕事ではない「0」をいくつもつくろう。
結果その事が先の自分をつくるから。
「0」からつくっていくために
「0」からはじめるフィルムとのお付き合い。
Rolleicodeという二眼レフカメラを買いました。
「Rolleicode Ⅱ-1型」1936年発売のカメラです。